護身術

これは最近の日本人は覚えた方がいいかもしれないね。たまたま護身の本とか読んでたんだけどさ。うちにも問い合わせがあったけど、ちょっと勘違いしてたな。紹介しておこうか。中学生の息子がいじめに遭ってるそうな。その対策に護身術をという。それはいい考えなんだけど、よく話を聞いてみると、いじめの仕返しとしてと言うんだよ。それって護身じゃないよな。暴力に暴力でってことだろ。はっきり言って、空手の技を使えるようになるのだって、20年以上はやらなきゃダメだぞ。俺は一度だけ使う羽目になったが、ふと練習している形が役に立ったね。でもこれだけだな。それ以外は技なんか必要なかった。知恵だ。めったに行かないけど、以前繁華街を歩いてたら、複数の人に絡まれて、俺を寂しいとこに連れて行こうとしてな。裏の方に回ったんだけど、俺が「おい、ここじゃ人にばれるぞ。俺がもっとさびしいとこに連れてってやるよ」なんて言ったら、呆気にとられてみんな去って行っちゃったよ。ビール瓶逆手にとって威嚇した奴に俺が黙ってグラスを出してやったら、黙ってビールをついできたりな。こういうことは昔から上手かったかもなぁ。自分では気づいてなかったが。こういう知恵みたいなのは練習で厳しさに耐えなきゃいざという時の心の余裕が出てこないから、いじめに強くなるためならいじめられる苦しさ以上の苦しさに耐える必要があるかもしれないんだぞ。もともといじめられる方が悪いんだから。いじめた方が悪いと言うなら、人のせいにすることで解決になるかどうか考えてみりゃわかるだろう。弱いから強くなる必要があるんだ。俺だっていじめられてたことがあるぞ。空手を始めたらみんな逃げちゃったけどな。昔のままだと勘違いした人もいたが、あの時は軽く足を払ってやって教えちゃったな。道場で練習するってことは、空手で技を身に着けるというより自分の秘めている力を引き出す作業なんだよ。力とはそういう知恵も一つの力だと思っていただきたい。たまに勘違いしている人がいるから書いておくよ。