空手に本物のみを追求すると…

大越君と練習しているとよく感じることだけど、もはや組手にならないね。突き一つを徹底的に洗練させていくことで分かるが、相手は受けることが出来ないんだもん。それには自分の身体と向き合う事から始める。そうやって自分の身体を開拓していくわけだが。開拓と言っても筋トレをやれと言ってるんじゃないよ。プロレスの神様カールゴッチ氏のトレーニングはまた例外だが、その点は別の機会に書くとして。突き一つの追求だが、それには無駄を省いていくしかない。そうすると体幹部の動きから手先まで自分の身体と対話できるようでなければならなくなる。そうなればもはや組手なんか必要ないし、昔空手に組手なしと言われた時代があったんだからさ。何で今の時代組手があるか?当時の若者がそういった基本的な追及を嫌がり、目先の闘いに使用するとか考え始めたからだよ。残念ながらそういう空手が普及し、本物は隅っこに追いやられる結果になっちゃったからこそ今、オリンピック種目に採用の結果にまでなったんだよ。沖縄空手の先生方は「空手を普及させないようにしなければいけないな」と言ってるんだからさ。でも競技としての空手と本物の武道は共存できないわけではないからさ。ましてや上達には時間がかかる。これは仕方がない。武道の世界に踏み込めるまで競技としての空手をやることは無駄ではないからさ。でも素人は競技空手がすべてと勘違いしちゃうんだろうね。