空手は何のために?

人を撃つ蹴るを習うわけだ。乱暴にならないか心配する人がいる。人を撃つことをすると同時に人に撃たれるんだ。同時に人の痛みが分かってくる。強くなって人を痛めつけることを俺は教えているわけじゃないんだ。強くなるとともに人に優しくなれる。そうなれば人と争うために存在しているわけじゃないと分かるだろう。そんなことは説明するまでもない事なんだけど、良い大人ですら分からない人が最近は多いからな。今回あえて説明させてもらうよ。昭和のプロレスラーは練習では真剣勝負をして、試合はビジネスとしての場と考えていた。練習で人の痛みを知る場を設ける。お客さんのためにドラマチックな試合を提供する為には相手との協力が必要になるんだ。強くなる練習をせずには名勝負は作れないからだ。試合が急に様変わりしてガチになる事もあるから、そんな事を想定する意味合いもある。現代のプロレスが面白く見えないのは練習でガチの闘いをしてないからだと思う。そう説明すれば分かるかな?空手は試合に勝つ為にあるなんて単なるせせこましいものじゃない。