毎日が稽古

ほぼ毎日道着に袖を通してるからね。朝起きると、たまに筋肉がみしみしいう時があるんだよ。疲労がとりきれてないんだろうか。そんなときつい、「昨日練習いっぱいやったからなぁ。今日は軽くやるだけにしておこうかなぁ」なんて自分に甘えた発想をすることがあるんだよ。そんなとき「いや、やっぱりしっかりやっておこう」なんてことは考えたりもしないんだよ。でもいつの間にか空手の稽古だけじゃなく、筋トレまで始めちゃうんだよ。稽古始める前までは気も乗らないんだけどさ。乗っちゃうととにかくこなしちゃう。少年部に入門したばかりの子なんか「今日は練習休みたい」とか「空手辞めたい」とかいう奴が必ずいるもんなんだけどね。こういうさぼり根性はいつまでもついて回ってくるんだよ。そういう少年部の父兄はそこで親自身が肚を据えなきゃいけないんだけどね。そういう親にはこう言う。「朝、仕事に行きたくなくても仕事はするでしょう。それと同じですよ。俺もいまだにそんな根性はついて回ってくるんです。」毎日が自分との闘いだっていう事だ。これは子供も同じだけど、練習を始めちゃうと一番本気で夢中になってるのはその子だ。うちの娘は今は言わないなぁ。次女の臨は結構ごねたけど。今は腹を据えたみたいだな。長女の純帆は2回だけ言ってた。「やりたくない時に練習した方が間違いなく強くなるんだよ」と言ったら、その一言で安心しちゃったみたいでね。その後一言もサボりたいなんて言わない。うちは空手が家業だからなぁ。そんな中育ってるから、その点根性が据わってる子だと思うことはある。

清心流支部だったころ、「胴着に袖を通したら人が変わる」なんて親方の疋田さんは言っていた。俺もそんなころはあったね。胴着を着ると鬼になるんだよ。今はさらさらないね。胴着を着ようが着まいが全然変わらない。だから道場生に対しても普段のただの親父の一人のつもりで接している。俺は根っから空手家だからいちいち変わる必要なんてないんだよ。胴着を着なくても空手家なんだよ。そう実感するまではどこか覚悟が備わってなかったのかなぁ。尤も以前の空手師範というのは怖いのが当たり前だから、疋田さんの言うこともまったくずれた話じゃないんだけどな。