痛みを取るのに陥りがちな点

たとえば姿勢が悪いことで痛みが出てるにしても、良い姿勢になればいいか?これはいいようででまずいんだよ。良い姿勢にこだわってそれで体を固めちゃったらそれで歪みが出て、違うところが痛む。今回裕子がギックリ腰で姿勢を変えようと頑張りすぎちゃってね。かえって違うところが痛むようになった。姿勢はこだわりを入れるのはよくない。普段は姿勢なんぞ気にしなくてもいい。ただし、ちゃんとメンテナンスとして関節をほぐしていく作業が時々必要になるだけの話だ。こういう例は患者さんの中にもいる。歪みも人によって違うけど、その人らしさっていうのがあってね。それを失うのも体には酷なんだよ。

無心という境地というのも同じだ。邪念雑念を振り払おうとしがちだが、その行為そのものが邪念雑念だということ。邪念雑念は受け入れる。普段何気なく何かに没頭している状態が無心であって、自分から無心の状態を作ることはできない。とらわれる必要はないということだ。時々、座禅を組むのもよし、空手の形を行うのもよし。姿勢はこういうのと仕組みは同じなんだよ。たいていの人がはき違えてるからさ。