消毒液混入事件

点滴に消毒を混入して、20人以上の方が犠牲になった事件。もはや白衣の天使じゃねぇな。悪魔だよな。でもね、俺は知り合いから聞いた話だが、その人は男性で看護師だった。女性の世界に入り込んでみたものは壮絶だったと言う。聞いた内容を全部書こうものなら誹謗、中傷になりかねないからほどほどにしておくが、看護師の教育はいまだに軍隊教育みたいなことをやっているらしく、上下関係は厳しい。ストレスは半端ないと聞いた。当然いじめも出てくる。そういう環境に置かれるから、変な方向に走っちゃったんじゃないかなぁ。公務員の世界も変に規則、規則で縛られて夢も希望も無くなってしまう。それで公務員の不祥事が絶えないのではと考えている。俺の両親は公務員だった。こんなことを話しても「たまたま公務員だっただけだ」と話を聞こうともしなかったが、会社員より圧倒的に多いのは確かだ。白衣の天使にあこがれは言った世界が夢も希望も無くなってしまえば、そりゃぁ悪いことをしてしまう人が出てきてもしょうがないような気がする。点滴に消毒液を入れるなんてもちろん許された行為じゃないが、職場は楽しくなければいけない。いや、職場だけじゃない。空手道場だって同じだ。うちの治療室だって同じ。反面気は抜けないこともあるからね。少年部にはその点厳しさは必要になってくるが、楽しくなきゃ、俺だって空手は続けなかった。その病院には環境の整備を急ぐ必要があると思うのは俺だけだろうか。

後、西日本豪雨。平成に入って最悪の豪雨となってしまった。130人近くの犠牲者が出てしまい、いまだがれきの下敷き、土砂崩れの下敷きになり、行方がしれない人もたくさんいる。犠牲に遭われた方へご冥福を祈りたい。合掌!!

俺の愛読書

柳川昌弘先生著の空手の理、続空手の理が俺の愛読書だ。柳川先生の本は他にもいくつか持ってるが、この本はとにかく俺にとって迷いが生じたとき教えてくれる。学生の頃買った本だ。俺が無門会に所属しているとき買ったものだ。当時の無門会は、他流派を批判の対象にしかしていない時代だったが、それでも買っちゃったんだよね。でも、当時の若造が読んでも難しく、意味を理解するのに時間を要する。今の俺の空手の知識でようやっと理解できるに至った本だ。それでも俺にとっては当時からなくてはならぬ本でね。その当時にもそれなりの理解はしていたが、読めば読むほど空手の奥深さ、楽しさが分かる。読めばわかるが、中身は空手に限った本じゃない。武道家が人間として忘れてはいけない倫理的なものも書いてある。振り返れば9割の空手指導者が忘れてしまっていると思う。初心を忘れず練習する必要があるとかね。指導者になったとたんに政治的、宗教的なものに走ってしまったりしている人が多い。そういうものは必要な時に必ずついてくるものなんだから、そういうものに走る必要は全然ないと書いてある。俺は柳川先生みたいになれればいいなと努力しているが、とある先生は「それは自惚れだ」という。自分ができないからと言って、他人がその域を目指すことを良く思わない。努力することがうぬぼれだったら何を目指せばいいのかねぇ。その先生は組織欲、金銭欲に負けていまい、俺は縁を切っている。

強い格闘技は?

今時こんなことを考える人もいなくなっちゃったけどね。総合格闘技はあくまで総合ルールという見方で根本はあちらこちらにあるから省く。俺は空手家だが、強い格闘技はくやしいけどボクシングだとおもう。空手は格闘技としての歴史はボクシングと比べても浅い。空手でボクシングに対応仕方もあるが、こうなると組手にならない。

しかし空手は体力の限界がきてからが本当の修業だ。空手は元々、対日本刀などの対処方法もあるわけだからさ、違う意味で強い。でも、普通にボクサーと空手家が闘おうものなら、そして蹴りを省いたらひとたまりもない。

ただし、この強さはあくまで相対的なもので本当の強さは己との戦いに尽きる。不良少年上がりの父兄がよく俺の前で「俺は空手は出来ないが、ケンカは負けない」なんて言ってくる人間が多い。俺は口にしないが、どこかで俺がケンカしてきたことを知ると、とたんに「ケンカはいけない」と言い方を変えてしまう。人をそんなに意識しているようじゃぁ、自分との戦いは不可能だ。俺も人対人について考えないでもないが、結局は自分との戦いだ。技を超えたところに武道特有の心技がある。それが無敵の拳だ。

昨日は少年部の昇級審査。緊張感たっぷりで盛り上がった。個人個人の特徴が出てきた。ナンバーワンを競うより、オンリーワンをつかむ。これこそ武道だ。

疲労

原因はゴッチ式トレーニングだと思う。道場生とトランプをめくるわけだから、量的には大体半分。でも、これが連日となるとやっぱり体はきついね。今日もこれから一般部の生徒と総合格闘技の練習だ。ゴッチ式トレーニングを外すわけにはいかない。実際、プロレスラーは毎日こなすんだから、鍛え方が違うとつくづく思うよ。プロレスラーが総合の試合で負けている選手もいることでプロレスラーは弱いなんて言ってしまう人間がいるが、こういうトレーニングを体験してから言うべきだね。それはともかく、裕子も娘二人も風邪をひいてしまい、無事なのはまたまた俺だけだが、体脂肪率が一気に3パーセント増えていた。こうなると風邪をひく前触れなんだよ。俺の場合。無理は禁物だ。今日は我慢してやるしかないね。明日は休日だ。練習も何もかも休んでいよう。せめて曇り空がいいな。娘も外で少しくらいは遊んで発散できるだろう。今日は夜に、少年部の昇級審査がある。長女の純帆も紫帯、七級を受ける。受けれるだろうか、それが心配だ。

以前の少年部と今の少年部

稽古中の緊張感は以前は半端じゃなかった。子供も最初は行きたくないと言う。親が行ってきなさいとけつをたたく。今はこんな親いないからなぁ。今でも少々あるにせよ、当時の道場は緊迫感の中での稽古。そりゃぁ、小さい子がやりたいなんて言える環境じゃないよ。でも、この中で育った少年部はたくましさが違った。気迫だけで十分空手家。技なんか出す前から違っていた。最近育った黒帯ではこんな気迫を持った子は出ていない。当時の少年部、黒帯、こうなると俺の怖さなんかどうってことなくなるんだよ。最近の黒帯は俺の気迫にもおじけづいて逃げていっちゃう。黒帯まではいかなかった子ですら気迫は違う。実際、中学になって辞めちゃったんだけど、うちの道場へ遊びに来たことがあって、うちの中学生とガチで組手をやって行った。まだ空手の緊張感を忘れてなくてね。いじめられっこに空手を教えているという話を聞いた。今の子にこれができるかな?できないだろうなぁ。昔の稽古に戻そうものなら今の子は死んじゃうよ。いくら世の中が平和だからといって、今の世知辛い世の中はある意味物騒ともいえる。自分を守れるのは自分しかいない。「いじめられたらお母さんが助けてくれるよ」なんて平気で言っちゃうからなぁ。今の子は。

純帆の成長 でもまだまだ…

最近は口余すんだよね。特に母親の裕子に対してね。裕子はそれほど練習しているわけでもないし、純帆は週3回休まずに稽古している。ちょっと自信もついてきたんだろうなぁ。昨日、稽古が終わったひと時、純帆が裕子に手を出してきてね。裕子は軽く応戦。純帆はどうしても勝てなくて泣き出してしまった。まだまだ体格的に勝てるわけないよな。でも、気持ちが強くなってきた証拠だ。勝てなかったのはいい勉強だ。チョット強くなったからと言って、誰にでも勝てると思ったら怪我をする。練習してなくても強い人はいる。純帆も勝気は半端ない。見た目はおっとりしてるが、性格が真面目だから組手なんかやるとどうしても勝つ気満々でやろうとする。それがある意味欠点でもある。稽古はとにかく手抜きなんかしない。小さい子はどうしても気分によって手抜きしたりするもんだが、この子はそういうことはしない。俺の前でそんなことしたら怖い目にあうことはよく知ってるしな。俺が手抜きしないから、その中で育ってるし、それが当たり前と思っているのかも知れない。勝つ考えは持つな 負けぬ考えは必要 と道場訓には書いてある。純帆に足りぬものはこれじゃないかな。勝つ考えと負けぬ考えは一緒じゃないかという大人の声もあるが、これを知らぬ大人は大体において、世間知らずが多い。説明しても無駄な結果に終わるケースが多い。実際に稽古している子供の方が知ってたりする。強いものが勝つのではなく 勝ったものが強い の区別と同様だ。

成長してきているふうが君

最近は少年部のみんなに対して指導できるようになった。俺は指導しろとは言っていない。それも、俺が見てなかったところとか、言わなかった部分をちゃんと指摘できるようになっている。うちの道場で選抜クラスの参加していて、技術は確かだ。だが、身長が低い。それがなければ大会で成績を残すことが出来たはずだが、そこは神様はふうが君に試練を与えたんだな。最近は防具の組手をやらない。フルコンタクトルールでやっている。俺の長女の純帆が大会に出ないという話を聞いてからだ。大会に出なくても自分は自分だと気が付いたのかもしれない。大会に出ても成績を残せないから空手家としてだめなのではない。空手は大会がすべてじゃないからな。俺なんか若いころは反則負けだったからな。空手の枠の収まらず、一発いいのをもらうと追いかけてたりしてたしな。それでよく師範になれたもんだよ。でも、コツコツやってきたものはある。それがはな開くのに時間がかかった。今ではコツコツやってきたせいか、こっちの何気ない行動が他人にビックリされることがよくある。力なんか入れてないのに「すごい力だ」とかね。