郡山のある空手道場

うちの患者さんで3回ほど練習に行ったけど、ひざを痛めたのでいかなくなった人が言うには、「ひざを痛めただけじゃなくて、指導員が人に挨拶しろという割には自分はあいさつしない人だったから行かなくなった」という。先生先生と言われてその気になってるようじゃだめだね。空手の先生なんて世間が狭いもんだよ。一歩外に出たらただの人だ。あの道場の親方は仕事は空手一本だ。以前交流しようと話を持ちかけたことがあってね。無視されて終わった。空手一本にしている理由は「半端になっちゃうから」というけど、俺から言わせればそうやって世間を狭くしているんだよ。まぁ、うちは空手だけでは食っていけないからそんなことは考えないけど、恵まれてると案外気づかない落とし穴があることに気づかない。俺は一般部の道場生には「さん」つけだぞ。学生だって「くん」をつけるようにしている。あいさつもろくにしないで人に挨拶しろなんて言ってる指導員がいるなら、あの親方も同類だという事になるからな。その話を聞いて交流しなくてよかったと思ったよ。そういうところは道場生もたくさん集まるもんなんだよね。口がうまいからかな。以前はうらやましいとも思った。でも人として当たり前のこともやらない人間をうらやましいとは思わない。うちは最近は道場生も入ってきて増えていていい調子だ。どうやったら人が増えるかは口のうまさではない。神仏を尊ぶだけだ。神仏に頼るわけじゃないよ。頼るようじゃただの新興宗教だ。自分の上に人がいないなら、自分の上には神仏がいると考えるようにする。でかいツラは出来まい。その点勘違いして勧誘してくる人がいるけどな。きれいな女が来ても無駄だぞ。

ある人の私に対するイメージ

うちは空手だけじゃなく、総合格闘技クラスがあったり、はたまた居合、治療室、自力整体法といろいろ手を出しているからね。少年部の父兄の知り合いが「いろいろやってて落ち着きがないから、少年部の指導もいい加減なのでは?」といってきたらしくてね。聞かれた父兄は「とんでもない!ビシビシやってもらってるから助かってるよ」と言ったらしいんだけどね。これについて応えておこうか。俺の場合はいろいろやってるふうだけど、根本は空手、それも武道としての空手だ。試合用じゃない。居合は組手をやるうえですごく心の置き方の意味で助かっている。あくまで組手に結びつけるためだし、治療はやっぱり空手の動きと結びつけて考えてるからね。空手が参考になるんだよ。俺自身、若いころ、練習しすぎて心身ボロボロになった事があったからさ。そうやってきたから人の役に立てればと思って始めた。自力整体法は空手を参考にじゃなく、治療を参考に空手の動きから創作したものだ。武道空手は健康法にも格闘技にも生かすことが出来るからね。空手に興味がなくたって、治療室に用がある人だって来れるし、空手というより総合格闘技をやりたい人だって来れる。もちろん空手に興味があればそれもOK!総合格闘技の練習は空手の形をやる。それが基本だ。組手が総合ルールとでも言っておけばいいか。チョット脱線する話だけど、空手からとった健康法というのは、筋肉をつけるという意味じゃないよ。空手を知らない人はそんなイメージもあるみたいね。空手は力だと思ってる人が多いけど、もっぱら力を抜く作業だ。

自分が楽しもう

仕事で稼ぐ。それなら公益的でなければいけないよね。公益的だろうがなんだろうが、まず自分が楽しめてなければいけないと思う。まず自分が楽しんで、公益的なことは儲かってからでいいんじゃないかな。最初から公益的なことを考えちゃうとまず、自分自身が楽しめなくなって、その気力が周りに蔓延していく。それでは大失敗で終わる。ホリエモンもこの点をよく指摘している。道場稽古もまずは俺が楽しめなくてはいけない。そこから発する気が周りに伝わるんだよ。一般部の体験生にはその点、何がやりたいのかを聞くようにする。そこに俺が乗っかって、一緒に楽しむようにする。少年部は人数が集まることは間違いないから、道場生と仲良くなれればよいが、その道場生を楽しませるのは俺の役割だ。やっぱり一緒に稽古しなければならない。誰かに任せておいてふんぞり返る時代ではないよ。少年部に3歳の男の子が以前体験に来て、「できない」と言って投げ出そうとしたが、俺が「オッチャンだってまだできないことがあるんだよ。出来なくてもやればいいんだよ。やればできるようになるから。」と言ったら素直なんだねぇ。ちゃんとやったよ。周りの空気が嫌いじゃないんだね。明日、入門の手続きに来るそうだ。空気感。これが大事で、これを作るのが俺の役目だ。

バカオヤジ軍団

先ほどまで総合格闘技クラスの練習があった。二人の30代の男性と3人での練習。渡辺さんと三瓶さん。俺たち娘を持つ点が共通。渡辺さんはボクシングと総合経験者。三瓶さんは八光流柔術と空手をやっていた。この3人がそろうとほぼほぼスパーリングが多い。いつもスパーばかりじゃ体が参る。技の練習とかかけ方とかを練習はする。それがいつのまにか本気になっちゃって、ガチンコのスパーリングが始まってしまう。俺も相手が本気になってくるとバカだから「うん、いいよ。」なんて言って始まっちゃう。どうしようもないね。この親父たちは。三瓶さんも話し方は穏やかだが、毎度毎度何か考えて仕掛けてくるもんな。俺はしかけるというより乗っちゃうんだよ。今回はそれにプラスして寝技の最中、渡辺さんを俺がひっくり返したとき、渡辺さんの膝が俺の鼻に直撃。これで3人に火が付いちゃってね。3人ともグロッキー。タフな戦いだったなんて俺たちは笑ってるけど、道場を仕切る俺としてはけが人が出てはいけない。今回は俺だけだからまぁいいとして、ムキになってきたらそれを止める役割がある。俺も簡単にガチを容認しちゃいけない。技を向上させるのが目的なわけだ。ガチをやらなくても感覚を覚えておくための練習法は純和会空手にはいっぱいある。3人とも笑ってるから今回はよしとしても反省させられた今日だった。

山本KID選手について一言

今、ガン闘病中とのこと。山本選手についてこれからいう事は誹謗的かもしれないし、ファンにとっても言い方は酷いかもしれないがあえて俺の見解を述べさせていただく。総合格闘技で全盛期はすごかった。強いの一言。魔娑斗選手との激闘は今でもよく覚えているよ。でも、調子に乗りすぎて、タップ(降参)している相手にアカんべーして、さらに殴り続けたりしていた。若いうちはそういうこともあるかもしれない。礼儀知らずなのは若気の至りという事で納められる。でも、全盛期を過ぎてしまった最近を見ると、入墨がどんどん増えて体中が模様まみれだ。その姿を見て、ただ、若気の至りだったらよかったが、入墨があんなにひどくなった姿を見て、根性の入れるところが間違ってるんじゃないかって思ったね。格闘技の強さなんて人生のごく一時期だけだ。その強さしか見えてないんじゃないか?強さが消えると入墨で凄んでみたりさ。そうなったら行きすぎだ。行き過ぎという事は強くないという事だ。精神面がガラスのハートだってことは想像できる。歳とれば嫌でも丸くなってくるもんだ。それで今まで見えてこなかったことが分かってきて、そこから道を悟る。これが分かってないんじゃないか?それを否定してるのかもしれないね。なら、ガンを克服はあり得ないと思う。俺も30そこそこだったらこんな考えはしなかっただろうよ。それこそ俺もガラスのハートの持ち主だったからな。負けている選手を小バカにした態度、青木選手も同じだが、劣る人間を見下す時点で世間知らずもいいところだ。励ましてやるならかっこいいし、その実力も本物と言える。うちの道場にもひょろっとした草食系男子が格闘技で頑張っている。必死に汗流して、強くなろうとしている。でも、山本選手や青木選手をかっこいいなんて思わないだろう。山本選手、もういいだろう。自分の負けを認めたって恥ずかしいことじゃない。そこから這い上がってガン克服してほしいね。

f:id:junwakai:20180830125419j:plain弱い人汗流してだって頑張ってる。

闘わずして勝つ

無門会のユッタリズムはまさしくそれだ。俺は清心流を通してその境地が分かったところだ。無門会と形は異なるが。素人に言わせれば、それはあり得ないことだとかいうだろうけど、よくよく考えれば当たり前の光景だ。空手の組手で会得しようとするなら、心技体そろっての話だ。気迫だけで何とかなると思っていた時期もあったが、一部の人間にしか通じない。組手の勝ち負けも大事だが、精神面の落ち着きは何よりも大事だ。さっき、当たり前の光景と言ったが、どの職場でも消費者の言いがかり、クレームなどは当たり前のようにあるだろう。(うちにはないけど目安箱を設けている。)それにカッとなって消費者に何か言おうものならそれは大変なことになる。喧嘩にならぬよう、勝つ消費者も納得する方向へ導くようにする。職場に限らないよな。プライベートでもあるだろう、それは。尤も俺は常々落ち着いているように思われるかもしれないけど、俺は元々熱くなっちゃう人間だ。組手でこの境地へ行ったからといって、人間が出来てるわけじゃないよ。数年前、運転代行のバイトで、お客に嫌がらせを受け、「この野郎!!」となって、周りに止められ、所長と一緒に謝りに行ったしな。裕子も所長に謝っていた。尤もその会社にもスタッフを守る意識がなく、常識のないお客に媚びを売ったりしてる会社であるのは確かだ。闘わずして勝つ。大元、そういうことが可能な環境を作ることが先決だろう。

少年部育成クラス

子供はどうしても教えたことが理解できない場合、質問しようとしない。わかった気でいてしまうことが多い。実際、昨日も注意された子がいた。何年もやってると質問をするようになる。分からないことはいけないことだという勘違いをしてしまうのは初心者に多いね。尤も初心者ではなくても気づこうともしない子がいるのも確かだが。出来ない事や分からないことを悪いと思うのは俺にもあったかもしれない。学校の先生だってわからないのをそのままにはするなというよな。でも、学校教育の弊害じゃないかな。子供にこう思わせてしまうのは。子供はできるとかできないとかこだわるしな。出来ないからやらないなんて言う子がいるけど、やらないからできないんであってな。成績主義、進学がすべてと考える教育者がいると上から子供に押し付けて子供は積極性を失う。今の学校教育は洗脳教育と変わらないんだよ。うちで慣れた道場生は質問するよ。俺は初心者に言う。「俺だって空手でわからないことだってある。恥ずかしいとは思わない。できないことだってあるよ。別に恥ずかしくなんてないよ。俺だってまだ未熟だもん。何が悪いよ。分かろうと努力するのがかっこ悪いと思う大人も一部にはいるけど、そういう大人がただのクソなだけだ」ってね。確かにいるんだよな。一生懸命頑張ってる人間をへらへら笑う大人が。教育委員会にもいるよ。教育者がこれだもん。人間育てる気がないなら人間やめなさい。