道場訓の一つに…

「勝つ考えは持つな 負けぬ考えは必要」という言葉がある。よく聞かれることだが、「勝つ考えと負けぬ考えは一緒だろう」ってね。引き分けはどうなのかな?って言いたい。勝ちを狙えば、隙が生じて負けることもある。勝ちを無理に狙わず、負けなければいいという考えでいればいいのだ。隙が生じないからだよ。こんなことを言うと、道場生に勝たせたいと思ってないとか言って、練習はどうせチンタラやってるんだろうなんて言うやつがいるんだよねぇ(笑)。そういうことを言う人に限って体験会なんて言うと逃げ回るんだけどな(笑)。空手を何年もやってきた人間がこういうことを言ってきたやつもいたねぇ。うちの道場にいたやつだけどさ。今は人に隠れるようにコソコソ空手を教えているよ。こういうやつの嫌がらせは以前はよく受けたね。

試合で要は勝てばいいとか言って、内容はからきし、逃げ回るような試合をやってはほしくないね。チンピラ考えは捨てて、空手に臨んでほしいねぇ。指導者がチンピラ考えで教えちゃう人がいるから(チンピラの考えを持った指導者を容認している師範も含む)、道場生もそういう指導者と反りが合わないと思ったら、他の道場へ行った方がいい。3年練習するより、3年かけて良い師を探せという言葉がある。うちはその点、コツコツとやるよ。だから新人が入門しても、勝てるようになるまでには時間がかかった。けど、その強さは間違いない。

高齢者施設スポワールへ訪問

11月20日、郡山市高齢者施設エスポワールへ空手の指導に行ってきた。健康体操ではあるが、ただ健康体操をするだけではボーッとしている高齢者だが、実戦的な面の説明を交えながらの指導だったので、みんなが楽しくできた。身体が温まってきたところで最後に空手の形を披露して終了した。空手は強さを求めるばかりではみんなが親しんでやることが出来ない。誰もが親しめる空手を普及させたいと考えている純和会はボランティアで体験会を行っている。強さを求める若者をないがしろにしているわけではないゾ。そういう強者も出てきてほしいねぇ。第一段階は人対人の強さを求める。そこで道を悟る。今まで人を踏み台にして育ってきたなら、今度は人の踏み台になってあげる番だ。俺も強さを求めることに専念しているわけじゃないけど、まだまだ若い者には負けたくないと思っているよ。高齢者の話を聞いてると、孫が空手をやっているとか話を聞く。高齢者が空手をやって悪いわけがない。いろいろなことに応用できるのが空手の持ち味だと俺は考えているよ。

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日馬富士暴行事件

今、連日話題になってるね。けど、俺にとってはどうでもいいことだ。尤もああいう封建社会には当たり前のことでさ。プロレスの世界にも存在するよ。今はどうか知らないけどさ。ビール瓶でやったかって?レスラーなんかそんな乱闘はよくあったらしいよ。考え方の対立からさ。貴乃花がそこでいろいろ言われてるけどね。俺はあまり好きじゃない。この人は。兄の若乃花と絶縁したけど、兄は相撲の基本がなってない?兄は弟が心配で付き添いで大相撲に入ったんだぞ。弟思いがわかんねぇのかね。それでも横綱になれたんだもん、すごいことだよ。貴乃花はいろいろ問題が多いけど、ボンボンというイメージしかないね。勝たなきゃ意味がないという人だけど、人をたたくことでしかのし上がれないというか、それで勝ち負けにこだわる相撲なんか俺には興味ないことだもん。観たいという気にさせなきゃさ。プロならばそういう魅力がなきゃいけないよ。勝ち負け以前の問題だよ。それは。

う~ん、停滞期

こういうとき、あせって脱却しようとあがいても空振りに終わるんだよね。でも、停滞期がないと伸びることもない。ジャンプするためには一度タメを入れないとね。厄年のヤクも飛躍のヤクだと聞いたことがある。厄年だから何もしない方がいいというのは間違いで、飛躍するための準備期間だというね。計画を練ろう!空振りに終わった企画もあるから、なぜ空振りしたか原因を考えて、次に備える。やってみたい企画もある。これも念入りに下調べをしてみる。今年やってみて成果があった企画もある。これは時期を見てまたやってみようと思う。裕子と会議を開くかな。

ここ最近の俺

仕事も踏んだり蹴ったりなんだよね。金銭的にも回ってこない。そんな時期と言えばそれまでだが、落ち込んじゃうねぇ。患者さんも仕事が終わらないって予約をキャンセルしてしまったりでね。仕事はやっぱり疲れはするけど、スッキリ終わらせたいよね。神様のいたずらか?ていうか神様がその人を試すために苦しませるというのはあるらしいね。ならば踏ん張るしかないでしょう。落ち込まねぇでな。夜遅くまでの仕事で気力もくそもないが、あのロウリュサービスを受けて疲れを取ってから空手の練習をしよう。ストレスを思いっきり発散してな。若いころは暴れたがな。そうするわけにはいかねぇしな(笑い)。

昨日の空手とはなんだろうって。自分の心のよりどころだはと言えるな。

空手とはなんだろう

ホント、これわかんねぇンだよ。若いころならはっきりと「人と人が闘う術だよ」と言い切ってたけどな。そんな単純なものじゃない。健康法にも役に立つ。けど、これがすべてじゃないのも確か。少年部の父兄から言わせれば、競技、スポーツとしてしか見ないだろう。昔の空手家は体を鍛えればいい。それだけだったんだ。そんな話しても誰も信じないだろうな。格闘技としての一面もあるが、これがすべてとなると最終的には強いだの弱いだのでむなしい結果に終わるんだよ。空手を途中でやめていく人に限って、空手とはこういうもんだと言い切っちゃうけど、どれもそんな単純なものじゃないと思って聞いていた。空手の形は動く禅とも言われる。でも、俺はいちいち何も気にしないで稽古しているよ。ただただ好きなんだよ。だからやっているだけでな。今日、指導員候補生の勇唯斗くんが来るからな。聞いてみようかな。こいつは悟るのは早かったな。少年部にいたころから「大会なんかどうでもいい。俺は練習ができればいいんだ」って大会なんか出なくなっちゃったもんな。でも、空手にはいろんな要素があるな。喧嘩にも役に立つ、格闘技にも、健康法にも、禅にも、合気道のような要素もある。まぁ、道場生には空手をどのように役立てるかはその人次第だと考えているからね。

痛みを取るのに陥りがちな点

たとえば姿勢が悪いことで痛みが出てるにしても、良い姿勢になればいいか?これはいいようででまずいんだよ。良い姿勢にこだわってそれで体を固めちゃったらそれで歪みが出て、違うところが痛む。今回裕子がギックリ腰で姿勢を変えようと頑張りすぎちゃってね。かえって違うところが痛むようになった。姿勢はこだわりを入れるのはよくない。普段は姿勢なんぞ気にしなくてもいい。ただし、ちゃんとメンテナンスとして関節をほぐしていく作業が時々必要になるだけの話だ。こういう例は患者さんの中にもいる。歪みも人によって違うけど、その人らしさっていうのがあってね。それを失うのも体には酷なんだよ。

無心という境地というのも同じだ。邪念雑念を振り払おうとしがちだが、その行為そのものが邪念雑念だということ。邪念雑念は受け入れる。普段何気なく何かに没頭している状態が無心であって、自分から無心の状態を作ることはできない。とらわれる必要はないということだ。時々、座禅を組むのもよし、空手の形を行うのもよし。姿勢はこういうのと仕組みは同じなんだよ。たいていの人がはき違えてるからさ。