出来なかったことが出来るようになる

こういう事って頑張ってるとあるけどね。本当は出来なかったんじゃないんだよ。空手の技術も同じだけど、本当は元々できるものだけど、何らかの原因でその力が発揮できないだけの話だ。純和会独特の技術も習得したとして、それは体の中に元々眠ってるもので、それが呼び起されただけなんだよ。柔術グレイシー一族とかは勝ち負けばかり意識しすぎてるのか、誰かが勝ってると、「それはグレイシーの技術だからだ」という言い訳を読んだことがあるけど、技術を習得したらそれはすでにその人のものだ。これはプロレスラー藤原組長も言う。こういう言い訳の時点で俺はグレイシー柔術は真の武道とは言えないと思ってるよ。よくグレイシー柔術が本物だと言ってる人は多いけどな。海外の人に日本の文化まで理解しろっていうのは難しいと思うな。自転車だって水泳だって最初はできないわけじゃない。母ちゃんの腹の中では水の中にいたんだからな。俺も闘わずして勝つなんて極意は空手の極意を知る前からいつの間にかやっていたりしたからな。小学生の時なんか空手なんかやってなかったけど、ケンカを売られたときなんかうまくいなしてたもん。ただ、空手の修業をしている中で、若さゆえ強くなったりしちゃうとそんな極意も忘れちゃったりしちゃうもんだ。たとえば将来空手の先生になりたいとか真剣に考えてる人は、実は既になっちゃってたりしてるものだと柳川昌弘先生は言うよ。それも同じことなんじゃねぇの?最近、道場の父兄もそうだけど、真の日本の武道について考え直すべきだよ。他力本願で技術なんか身につかないんだからさ。根本は全て自分だよ。だから武道がスポーツ化しちゃったなんて嘆く必要もない。スポーツ化しちゃった理由は全て武道家がやったことだもん。と、話が脱線しちゃったな。つい熱くなっちゃってね。ごめんね。