令和

俺の空手人生も3時代をまたぐことになるんだな。あっという間だった。空手の練習しすぎで心身を壊し、空手の練習で心身を健康にすることもできた。令和時代の純和会活動をどうしていこうかを書くことにしよう。俺は林修氏の考えと同じ、人脈を頼りにしない。人とのつながりを力説する人というと、人を損得勘定の為としか考えない人がほとんどだ。俺は一人でもやっていく。それに共感して協力してくれる人がいたら、そういう人を大切にしていくだけの事だ。空手の大会を開催してみなという人がいたが、正直、俺はあまり興味はない。空手を普及させようとすることに頭を使ってるからな。そういう意味では極真空手は組織も大きく、普及に力があるように感じる人もいるだろうが、極真のどこかの道場みてぇ女性の優しい指導員を置いて子供に注意も何もしない、ただの託児所になっちゃったらそれは普及とは思えない。空手の楽しさを伝えて初めて空手道場の意義があるんだからさ。ましてやネームバリューだけで人集めができるのは今だけだぞ。俺が若いころは沖縄空手というのはあまり注目されることがなかった。でも今は注目されてきてるじゃないか。本物を求め、原点を知ろうとする人が増えてきてる証拠だ。技術的にも俺は向上するつもりでいるよ。技に極地なしだ。無門会空手のように極限は技が決まってるなんてことはあり得ない。それでは約束組手と変わらない。空手は技も無限だが、いろんな形にも変えられる強さがある。俺は治療家でもあるが、武道家として治療をやってるつもりだ。空手でみんなが健康的な生活が出来ればこんなにいいことはない。普及させたいけど、女性が空手をちょっとかじっただけで護身に最適だとかインチキな言い回しで人集めなどするつもりはないよ。それじゃぁ詐欺と変わらねぇだろう。俺はそんな嘘つける自信もねぇから、俺の普及活動は大変だろうな。