居合

今日も真剣を振ってみた。あの緊張感は空手の組手の相手と対峙している心境と似ている。あるいは同じか。でも、気持ちを鎮めていると気持ちが落ち着く。あくまで居合は一人だからね。自分と向き合う作業だ。刀を振りながら禅をやっているようなものだね。空手の組手にもああいう緊張感は必要だとも思ったし、過去に去って行った居合の生徒のことも思い出したりもした。結局は刀の中に入り込むことが出来ずに終わった人もいる。刀に身を任せることが出来なかったというのかな。自分のエゴが勝ってしまった感じだ。虚しいだろうなぁ。逆にあちらからすれば俺がエゴ満載のようにとってるんだろうが。第3者から見れば一目瞭然だから、そのことはいちいち論ずる必要もないが。

やっぱり禅なんだな。瞑想中は邪念や雑念が出てくるもの。それが悪いのではなく、それに振り回されずに刀を操る。座禅だと何もしないから振り回されちゃいやすいが、武道にはそれがない。武道だからね。道は自分の都合のいいようにはできてはいないよ。そこで他人を斬っちゃえば、それはそれで道なんだろうが、平和な心境は訪れないよな。居合が終わった今はとにかくホッとしている。常に平和な心境で人と接することが出来なければだんだん孤独の道へ行ってしまうよな。午後には道場生が来る。道場生の技量、体力に合わせて接してこそ居合だ。