空手道場の存在意義

俺が若いころはその点、強さばかりが先行していたからね。俺もそれが当たり前と思って頑張っていたよ。ていうかこうなると半分は義務感みてぇなのが出てきちゃうんだよなぁ。尤も俺の周りには空手がつらいとかきついとかいう俺に、頑張ってやれとかいう人はいなかったよ。じゃぁ、辞めればみたいな人ばかりだった。強さばかりを求められなくなった現在だったら存在意義をよく考えた方がいいな。

一般部をみてて思うけど、仕事合間の余暇の為だよな。生活に張りを持たせるために道場が存在する。仕事ずくめじゃ仕事も効率が悪くなっちゃう。仕事一筋なんてかっこいいかもしれないけど、どこかに余暇がないといけない。少年部はちょっと前までは精神面を鍛えてほしいと親が子供を連れてきた。今はそれすらないような気がする。ただ、学校教育もちょっとストレスがかかるよなぁ。子供にさ。俺たちの時代では考えられない事だ。うちの生徒も学校の教師にいじめられてみたり、教師もストレス。いや、教師のストレスが弱い子供にぶつけられちゃってる。公務員はどこからどこまでも管理しようとする傾向があるし、大人に楽な決まり事を作ろうとする。

こう考えたら少年部も道場は癒しの場でなければならない。うちの少年部で今、中学3年の諒馬君はいう。「俺にとって道場は癒し」だって。この子は途中までは昇級していたが、自分から白帯を巻き、少年部と一緒に頑張っているよ。以前の少年部のようにたくましく強く優しくをモットーに育てると言う意義はゼロじゃないにせよ、少年にとっても余暇なんじゃねぇかなぁ。