居合を始めて10年…

最初居合を見たときは空手に役に立つとまでは考えてもみなかった。でもなんか神秘的でね。何か惹かれるものがあったのは事実だ。清心流支部になった時、当然そうなれば習うことが出来るからね。37歳頃だったかな。始めたよ。最初は真剣なんか扱えないからさ、模擬刀での練習になる。それでも居合の味に惹かれてね。ほぼ毎日、時には4時間続けて練習していた時期もある。まだ段位もないころだったけど、空手は変化が見えてきてね。剛から柔に変わってきた感じがしたのはこのあたりだ。でも組手が急にできなくなっちゃってね。若い人に翻弄されるようになった。でもそのまま練習していたら、若い人を力があったころとは違う形で翻弄できるようになってきたね。居合も続けてるうちに居合の形にはない先先の先が分かってきてね。事が起きる前という意味だよ。居合を始めて真剣を持つようになったころから落ち着きも出てきたよ。その頃は毎日真剣を振ってないと気が収まらなくなってね。付き合ってた女性に「私と刀、どっちが大事?」と聞かれてね。即答で「刀に決まってる」と言って別れる羽目になっちゃったな(笑)。そんなこと聞く女もどうかしてるけどさ。はっきり答える方も答える方か。刀は癒しだ。いろんな癒し方があるが、これで十分。空手とは違う武道の一面を感じる。

空手は突き蹴りだけか?

空手の試合は突きと蹴りのみになってしまっている。それこそ手刀だって裏拳だって鉄槌だってある。目つきなんか空手の一番危険な技だよ。まぁ使うわけにはいかないけどさ。投げ技も関節技もある。俺は無門会ではこう習ってたよ。空手は何をやってもいい。投げも関節技もすべて。だけど一撃必殺だからね。突き蹴りを主に使う。どうしても半端になってしまったら投げなどを使うとね。柔道にしても本当は当身、武器術を含むんだよ。形稽古にそういう技があるらしいから。柔道が今のようなスタイルになったのは若者が乱捕りにばかり気を取られて形稽古をおろそかにしてきた結果らしい。それを見かねて加納治五郎の息子健二は海外のボクシング選手と試合をする興業を考えたというからな。純和会では投げや関節技も練習しているよ。武器に関しては俺も最近は練習してねぇなぁ。トンファー、サイ、杖は指導できる。手裏剣も少し練習したけどね。たまには思い出すように練習しないとなぁ。最近は居合もやる時間がないよ。郡山の極真だったかなぁ。空手の空は武器を持たない意味だって言ってたな。実際は色即是空、空即是色からとったと言われるから全然意味合いが違うんだけどな。武道はどれを見ても総合だよ。総合と言っても総合格闘技ではないけどな。もっと幅は広い。と言っても一人ですべての武道に精通できるわけじゃないからな。主に練習するものがあったうえで付け足しで練習するものだ。自分を守るうえで必ずしも主に練習した技だけで何とかなるならいいがそうもいかないしな。それでなくても武器は護身というより手首などを柔らかく鍛えるいい練習方法だと思えばすごくいい。だから武器は形を覚えなくても俺にとってはいい練習だよ。

学ぶは一生

人生いつまでも勉強になることだらけだ。先日、ジムでヘルニアの人に筋トレとストレッチをしっかりやってるのに痛みが取れないという相談を受けた。説明もしたんだけど、一番手っ取り早い方法と思い、自力整体のカラテを勧めたんだけどね。ストレッチだけではちょっと無理があると言えば、「ストレッチと風呂に入って温めるのでは?」ととにかく自力整体をやらない方法で行こうとする。自分の殻を破れないんだね。こういう人は多い。自分のやってることにこだわりがあるならわかるけど、それなら聞く必要もないんだよな。昔、空手の組手が強かったことにこだわり、その動画を見てもらおうとする人もフェイスブックなどで観てきている。技なんか極地なしだよ。これでいいっていうことはあり得ない。現在の自分の組手の姿を逆に出せないでいるのはおかしいんじゃないのか。できなくなってるなら今やってることを堂々と出せればいいんだけどね。こういう人も学ぶ姿勢が足りないのかもしれない。俺も今空手を教えているけど、更に良い方法を探すようにしているよ。教え方だけじゃなくて、技術的なことも礼の仕方一つとっても開拓の余地はある。技なんか所詮は人間の作りだしたものだからさ。いつかは破られるんだよ。その技を使わずに何とかしようとするのが上達だからさ。そして新しい技が生まれる。技は業と書く。クセだ。癖を治す努力をしなきゃ偏るよ。前向きな人間は自分の知らないことにどんどん挑戦する。さっき書いたヘルニアの人だって自分の殻を破れるなら必ずしも自力整体のカラテなんかいらないかもしれないよ。案外気持ち的なものからくるなんていうケースはよく見てきた。腕のいい治療も効かないんだけど仕事を変えたら治ったケースもある。

道場をやめた少年部のひゅうが君

現在は中学生。あとになって「黒帯になるまで空手をやっておけばよかった」と言ってるらしい。中学になって野球部に入部したが、みんな怒られて泣いていても、ひゅうが君は怖くないらしい。師範の怖さに慣れたおかげで先生も怖くないらしい。母ちゃんの説教も怖くないとか。今までで師範が一番怖い。こういう精神面の強さは大したものだね。最近は父兄が覚悟できてないから、子供が怒られると親は一緒に子供と逃げ出す。子供に怒れないんだね。ひゅうが君がやっていたころはまだ道場に緊張感が満ちていた。ひゅうが君は途中から実力がぐんと伸び始め、茶帯までいったのでほぼほぼ黒帯に手は届いていた感じだ。あの子は生真面目だったから、当時やっていた空手以外のスポーツで、団体競技のメンバーということで責任感を感じて空手をやめたんだよ。空手は個人競技だからな。やめても後腐れは残らないと思ったんだろうね。でも、後から空手に未練が出てきちゃった。やっぱりやりきらないと残るわなぁ。入門して2~3か月で辞めちゃうなら未練なんか残ることもないだろうけどさ。まぁ空手は大人になってからでも遅くはないからな。俺は30年以上空手をやってるけど、もしやめたら未練どころじゃないぞ。ていうか生活そのものが空手だもん。空手をやめようなんて1ミリも思わないけどさ。

明るく楽しく厳しくもある少年部

俺はどうも怖く厳しくしちゃうことが多くてね。形、基本などは選抜クラスに出てるりお君とはやと君が教える形を取らせている。その辺俺は細かく厳しく指導する癖が取れなくてな。組手などはあまりうるさくないんだけどさ。初心者にも見馴染みやすいように考えている。まぁ、子供はサボるのが仕事だからめんどくさがって休みたい人も中には出てくるが、楽しさが分かってくるとそれが変わってきて、早く道場に行きたいとなってくる。たまに俺も少年部のだれかと組手をやる。ハッスルして掛かってくる子なんか面白いね。それを逆利用してこちらが極める。俺も練習になるけど、その子も油断しなくなるからな。その子にあったアドバイスもするようにしている。でも少年部はあくまで初心者も入りやすくなってるので、雰囲気は爽やかだ。にぎやかかもしれないな。たまに基本を俺が教えることがあるけど、そうなるとピンと空気が張り詰める。その辺はメリハリはしっかりしてる。選抜クラスは上級者クラスというべきかもしれないけど、基本がまだ固まっていないはやと君も出ている。俺が選んだ子だけが出席可能なクラスだ。武道は分かれば簡単なものだからさ。このクラスは練習の密度が濃いというより、種明かしするクラスだ。こうやると簡単だよみたいにね。種明かしなんて言うとインチキまがいと思うかもしれないが、手品と同じで種はあるけど練習は絶対的に必要になってくる代物だ。真面目に積み重ねだけではないんだよ。技術っていうのは必ず理にかなったものだから、その理を指導する。少年部はただきゃぴきゃぴ遊べるクラスと勘違いしてくる体験者、父兄もいるけどな。真剣な遊びととらえてほしい。

空手の威力

空手の威力は当然力から出るよ。でも筋肉の力とは異なる。空手力だな。言ってしまえば武道力というべきか。こういうのは案外子供の取っ組み合い、レスリンごっことか相撲などから生まれやすい。公園の遊具は有効活用できる。尤も今の子供はそんなことやらずにゲームばかりだろうからこういった専門的体力も生まれようがないか。俺もやるようにしているよ。取っ組み合いの相手はいないから、ただの腕立て伏せではなくやり方を変えたものとか、とにかく普段使わないような部位を鍛えるつもりで行う。そう考えればいくらでも鍛える方法は出てくるはずだ。重い石を使うのも方法だし、木刀もただ上下に振るのではなく、袈裟切りとか斬り上げなどもいいね。なるべく体幹部を使うよう意識する。荷重がかかってることに意識を置く。それに耐えうる身体を作る。こういった威力を養成すべく練習は武道の中では柔道が一番だろう。空手よりも早く身体を作れる。空手の優れている点は身体操作法、身体をうまく使うことにより、小さな力で大きな効果を出そうとする方法だろう。柔道は組討ちに優れているけど、それだけが柔道の魅力ではないと思っているよ。投げる事よりも投げられまいとする身体の踏ん張り方、そういった感覚を身に着けるべき。俺もバーベルトレーニングなどで筋肉をつけてもかえって体が重くなってしまい、身体が余計動きにくくなった苦い記憶がある。おまけに腰に大きな負担がかかっていることも知らずに、後にギックリ腰になってしまった。そこでようやっと本格武道に目覚めてきたんだけどな。でもそこから早くも13~4年たってしまった。その頃が一番元気でパワーがあったなぁ。今の方が練習は楽だし、心臓破りな練習方法じゃなくても本格武道は上達することが分かった。

反省!自分の骨格の歪みに対して

最近はトラック運転をやってるからね。運転も当然長時間になるから一日だけで歪みがしっかりできちゃう。それがとりきれてると思って過ごしていたが、最近大越君と練習していて気が付いた。腰に違和感があったり、大越君に指摘されたりでな。どこかで練習をセーブしてやっているのかもしれない。昨日はナイハンチの形で歪みを取った。一度全身全霊でやったら歪みが取れてね。やればできるのになぜやらなかった!歪みなんか気が付く前にとるようにしていなければ師範らしくない。でも一日でできた歪みだからすぐとれる。俺にとっては簡単な話なんだからいつでもできてなきゃいけないのにな。毎日の稽古にまだ甘さがあったと反省しているよ。運転疲れがたまっているのは確かだ。でもちゃんと睡眠は取れてるし、練習することで固まった筋肉がほぐれて疲れはとれちゃうんだから頑張れるはず。今日は一日休みだったが、明日からまた練習じゃ。