段位

空手には段位がある。俺も当然持ってはいるけどね。ある人は「段位は人を表す」なんて言ってたな。だけど、俺はそうは思わないよ。白帯でも素晴らしい人はいるよ。段位もいらないと言う。段位はあくまで資格だからね。十段持ってるから人格は素晴らしいかって言ったら、それはないもん。俺の知ってる十段の人はペテン師だったぞ。清心流の親方に俺はもう関わりたいなんて思わないもん。俺に次女が生まれたころ、さんざん脅迫までしてたからさ。「永久追放、段位剥奪だ」なんて言われたけど、惜しいなんてこれっぽっちも感じなかったもん。ただ、今まで世話になっていたことも確かだよ。だから普通にあったらしゃべるし、年賀状も出すよ。指導者が脅迫するようじゃぁ、そんな段位なんて価値がないも同然でしょう。車の免許持ってるからっていい人だとは言えないだろう。おんなじだよ。著名流派の高段者じゃないと正会員になれないなんていう連盟もあるけど、著名流派だからいい人揃いなの?かえって俺はひいちゃうね。だから俺は黒帯まで行ったなんて豪語する人に関しては「ふ~ん」で終わりだよ。武道なんて続けなきゃ素人と同じだもん。だから俺は段位については「この程度のもんだ」くらいにしか思ってないね。でも、若いころはほしかったねぇ。素人にはすごさも感じるだろうね。

タクシー明けは…

夜中タクシー乗務をやると、力が出ないね。元気も出ない感じだ。夜中気を張ってなきゃいけないからさ。明けでも少年部は頑張ってパワフルにいかなきゃならないしね。じゃなきゃ少年部が頑張らないからさ。こういうのは絶対的に指導者の空気とかが出るからね。そういうのに伝染しちゃうから気を付けなければいけない。今日は少年部の後は一般部大越君の練習だ。大越君は武道性の強い練習がしたいからちょうどいい。疲れが取れるよ。格闘技だと体調を調整できてる上でやらなきゃいけないからタクシー明けはきついんだよ。いずれにせよ自分の体調管理は空手をやるうえでは絶対的に必要なことだ。だいたい仕事でストレス抱えて気力体力が落ちていくんだからさ。それを充電する場は絶対必要だと思うよ。こういう事って若い人は考えねぇんだろうなぁ。その点うらやましいね。だけど人間ていうのは若さより老いていく人生の方が長い人生を歩むんだよな。プロレスの神様カールゴッチ氏の言う「歳を取ったら練習しなければいけない」と言うのは、あの人は何よりもコンディショントレーニングを重視していたからな。こういうところに出てくるのかもしれない。プロレスも突き詰めると武道性が出てくるのかもしれないね。考えてみれば藤原組長は「プロレスの試合はお互い相手を仕留めるような技を封印しておいてお互いにいい試合を作ることを目的にしている」という。常に練習で必殺技を磨いておくと言うのも武道と同じだよな。何があるかわからないからこその体調の調整であったりというのは夜な夜な飲み歩いてばかりの人間は気を付けた方がいいんじゃねぇかと思うよ。タクシーのお客は夜はほとんどそういう人だ。

りお君

正月明け、ゲームにはまりすぎてボーっとしてて俺に怒られたけど、そこから奮起したようだ。俺の教えたことと、今まで自分がやっていた組手の仕方を混ぜて組手をしたらいい感じに仕上がってきた。一つ注意すべきところは見つかってるが、それは次回教えるとして。まぁ技術レベルはアップしてきたが、今度の大会はどうなるかな。この子は教えたことはちゃんとできるけど、そうするとほかに教えたことを忘れちゃったりしちゃうからさ。頭で考えながらでは間に合わないからな。空手の技は動物の本能みたいなもんだから、体が勝手に動いちゃったとか気が付いたら勝っちゃったみたいなことがある。俺も組手中、自分で何をやったか覚えていないこともある。たまたま動画を撮っていて見たら掌底打ちを極めていたんだけど、組手の為に掌底を練習した覚えなんかないんだよ。純和会には掌底の形もあって、それはそれで練習していたけどな。まさか組手中に出てくるなんて思いもしなかったよ。無心だな。りお君もそこまでなってくれればいいんだけどな。俺が教えた技は純和会特有の捌き方だ。防御をしつつ攻撃を放つ。本当は黒帯取得後に指導することなんだがな。出来ると思ったからやらせちゃったんだよ。ガチンコを避ける方法だ。といってもガチンコができねぇ奴にはいつまでたってもできねぇゾ。武道の技とはそういうものだけど、りお君はこなしちゃうから怖いよ。チョットできないことがあっても練習してすぐにできるようになる。覚えも早いし努力もする。そこは俺にもない事だ。俺はあまり表舞台は向いてないし、覚えるのに時間がかかる。でもりお君、とっさの判断ができるようになって一人前だ。俺が教えたことをすべてと思わないことだ。そんな状況はすでに来ているんだが、どうしてもそうなると負けちゃうんだよなぁ。写真は左りお君。右が妹のみりちゃん。以前大会で入賞した時の写真だ。

f:id:junwakai:20180319103953j:plain

 

大会に出ることになった臨

うちの次女ね。説得して出るように勧めたんだよ。最近伸びてきてるから、これはチャンスだなと思ってね。臨は4歳だからそんなことも知らないけどね。結局出ることになっても、そのあとやっぱり出ないとかいうことはあったけど、何か気持ちの意味で覚悟みたいなものが備わったのかなぁ。昨日小学1年生でも小さい女の子と組手をさせてみたら、ずいぶんまぁ積極果敢に攻めるわ攻めるわ。小学1年生の女の子だって3位入賞経験があるけど、その子相手に本当にいい蹴りが当たったりするわけだからびっくりだったよ。長女の純帆は大会は出ない。あの子は自分が何かできる手応えか何か感じるときしか出ようとしないんだよ。それが当たるかどうかは別としてね。本当はいつでも準備ができてて当たり前が武道なんだが、まだまだその域には程遠いからな。何度か無理に出したことはあったけど、今は自分で考えさせている。純帆も最近伸びてきてるよ。突きも手打ちじゃなくなってきたし、真っ向からカウンターを狙ったりする。蹴りを防御しながらカウンターで突きを入れるなんてことをまだ未就学でやっちゃうんだからあの子は将来怖いね。

頭が痛い

今日は珍しく頭が痛い。昨日の練習がきつかったせいかなぁ。昨日、夜に三瓶さんが来て練習していってね。本当は木曜に来るはずだったんだけど、仕事で急に時間を変更することになってね。総合格闘技の練習だけど、最近、徒手格闘技連盟に加盟したことで、その練習ばかりやってたら、寝技の練習から離れちゃってたんだよ。徒手格闘技は寝技もあるけど、深い寝技の攻防はないという事で離れる結果になったんだけど、寝技がないわけじゃないからまた始めたんだよ。しばらくぶりに寝技もやって、おまけにゴッチ式トレーニングもやったせいか、終わった後の疲労感が半端なかった。寝技から離れてたせいで勘が鈍って余計な体力を使ったせいも重なるし、今日は居合をやろうと思ってたけど、手を切ってしまう可能性があるから中止しておくよ。居合は真剣を用いるとごまかしがきかないからさ。おまけに緊張感たるや敵と真剣勝負で対峙しているような心境になるからさ。終わった後の気持ち良さがなんとも言えないんだけどな。ちょっとくらいだなんて思って、居合をやったら具合が悪くなったこともあるんだよ。風邪だったんだけどね。水分をよくとることにしよう。今日は休んでおく。少年部はあるから、そこは我慢して乗り切るけどさ。

今月の予定

24日木曜にはボランティアで郡山市日和田にて行われる。60代から90歳くらいまでのご老人相手に健康体操というか空手の指導をする。後しばらくご無沙汰だった「少年よ虎になれ!カラテ体験会」のチラシ作製。体験会は2月に行うつもりでいる。17日はフィットネスクラブのジョイフィット図景店に行って、図景店と須賀川店の責任者と会い、純和会の自力整体法の売り込みがある。以前の責任者が取り入れたいと言う話だったが、できる時間が少なくてお流れになってしまった。そのことは新しい責任者は知らなかったから話したら、話を聞きたいという事になり、行くことになったのだ。そままイケイケどんどんになればいいんだけど、なかなか神様が許してくれねぇンだよ。今はそれが現状だけど、いつチャンスがあるか分からないからいつでも行ける準備はしておくよ。

後は次女の臨が3月の大会に出ることになった。もう申込みしちゃったんだけど、今伸びてきているところだからこんなチャンスはない。説得したんだよ。婆ちゃんが見に来るなら出るという事だった。今から追加申込みしてくるところだ。

出来なかったことが出来るようになる

こういう事って頑張ってるとあるけどね。本当は出来なかったんじゃないんだよ。空手の技術も同じだけど、本当は元々できるものだけど、何らかの原因でその力が発揮できないだけの話だ。純和会独特の技術も習得したとして、それは体の中に元々眠ってるもので、それが呼び起されただけなんだよ。柔術グレイシー一族とかは勝ち負けばかり意識しすぎてるのか、誰かが勝ってると、「それはグレイシーの技術だからだ」という言い訳を読んだことがあるけど、技術を習得したらそれはすでにその人のものだ。これはプロレスラー藤原組長も言う。こういう言い訳の時点で俺はグレイシー柔術は真の武道とは言えないと思ってるよ。よくグレイシー柔術が本物だと言ってる人は多いけどな。海外の人に日本の文化まで理解しろっていうのは難しいと思うな。自転車だって水泳だって最初はできないわけじゃない。母ちゃんの腹の中では水の中にいたんだからな。俺も闘わずして勝つなんて極意は空手の極意を知る前からいつの間にかやっていたりしたからな。小学生の時なんか空手なんかやってなかったけど、ケンカを売られたときなんかうまくいなしてたもん。ただ、空手の修業をしている中で、若さゆえ強くなったりしちゃうとそんな極意も忘れちゃったりしちゃうもんだ。たとえば将来空手の先生になりたいとか真剣に考えてる人は、実は既になっちゃってたりしてるものだと柳川昌弘先生は言うよ。それも同じことなんじゃねぇの?最近、道場の父兄もそうだけど、真の日本の武道について考え直すべきだよ。他力本願で技術なんか身につかないんだからさ。根本は全て自分だよ。だから武道がスポーツ化しちゃったなんて嘆く必要もない。スポーツ化しちゃった理由は全て武道家がやったことだもん。と、話が脱線しちゃったな。つい熱くなっちゃってね。ごめんね。